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NEWS外国にルーツを持つ生徒対象の入試一覧
NEWS外国につながる高校生のための進路体験まとめ
ルーツ | ベトナム |
日本に来た時期 | 2歳 |
当時の在留資格 | 定住者 |
出身高校 | 神奈川県立秦野曽屋高等学校 |
進学先 | 上智大学短期大学部 |
学部学科 | 英語科 |
奨学金の有無 | 有 |
奨学金の種類 | 日本学生支援機構奨学金(給付型・第一種) |
入試方法 | 一般(C日程) |
入試日 | 3月8日 |
入試方法のURL | こちらのリンク |
純ベトナム人のジューです。ベトナム語と日本語を流暢に使えるバイリンガルです。言語学習が好きで最近は、中国語も独学で学んでいます。仲の良い友達とのチャットではよく、10と呼ばれたりします。そんなこともあって、好きな数字は10です。優柔不断な性格ですが、良く言えばとても慎重です。小学校で手芸クラブ、中学校で手芸部に属していたほど、手芸が好きで私の趣味です。また、気づいたら常にトレンドに追いついてるほどベトナムの音楽をよく部屋で、かけて聞いています。おいしいものを食べに行くのが大好きでよくお友達と遠くまでドライブします。
4歳の時に初めて幼稚園へ通いましたが、日本語ができないため意思疎通ができず友達が作れなかったうえに省かれたりいじめられていた記憶があります。その後通った保育園では、友達に恵まれ日本語も覚え始めたものの、小学校に進学するとやはり自分の言語能力は周りに比べて劣っていると感じたことがありました。また、学校からの書類は、親が日本語が読めないために、必ず私が目を通していました。何で私だけ…と感じることもしばしばありました。また、私の学年は私だけ外国人のためカタカナの氏名が珍しかったらしく、男の子たちに名前をいじられることも多かったです。
保育園の頃は、周りの友達がたくさん気にかけてくれていろんな言葉を教えてくれました。小学校に入学した後は国際教室に通っていました。国際教室は主に取り出しで受けていました。また、小学校の初めての授業参観で、授業についていけていない私を見た母が、かわいそうに思い、くもんに通わせてくれました。くもんでは、主に国語を習っていました。家では、暇なときに繰り返し読んでいた漫画があり、始めは絵を楽しむぐらいで内容もよくわからなかったですが学年が上がるにつれてたくさんの漢字や表現をそこで覚えました。そして、物語を読むのが好きになり小学校では誰よりも図書カードを使って本を借りていた思い出があります。そこでも漫画を好んで読み、たくさんの歴史上の人物の物語も覚えました。
高校では、部活動には属さず主に週2でスーパーマーケットでアルバイトをしていました。高校へ進学しても、周りに外国人がいない環境は変わりませんでした。また、中学校から使用していた日本名により私を日本人だと知る人は少なかったです。それでもベトナム離れをしなかったのは、高校合格の褒美として一年生の夏季休暇にベトナムへ一ヶ月間帰国することを許されたからなのではないかと思います。また、3年生の文化祭で周りの勧めもあり、ベトナムの料理であるフォーとバインセオをクラスの模擬店で出しました。みんなが私の国の文化を積極的に受け入れてくれたのはとても嬉しいことでした。進路は、親しい友人たちに一般入試希望が多かったこともあり周りに刺激され、より上を目指したいと思い。一般入試を受けることを決めました。
実は、第一希望の大学、滑り止めの大学もすべて落ちてしまったのです。上智大学短期大学部は、最後に受けた大学でした。決め手はやはり、C日程で受験することができたのと、英語が学べるからです。滑り込んで入学した大学ですが、今では上智大学短期大学部に通えて良かったと思っています。
上短に通っていた頃は毎日が楽しく、刺激を受けることが多かったです。まず、1年次のはじめにある基礎ゼミでは、クラスのほとんどが外国にルーツを持つ人たちでした。そこで同じような生い立ちをもつ友人らと出会い、すぐに仲良くなり、今でも付き合いが続いています。また、一年次の初めにあるオリエンテーションキャンプで仲良くなった人も多かったです。授業が終わる時間が重なると誘いあって、駅のマックでポテトを食べるのが日課になっていた時期もありました。 英語科ということもあり、英語の授業が多いですが、英語が大好きな私は楽しんで学んでいました。第二外国語では中国語を選択し、中国語が話せる友人との会話を試みたりしました。少人数ということもあり、先生と学生との距離が近いため、どの授業の雰囲気もよく、学びやすい環境でした。授業は、2019年度から90分授業から100分授業による時間割が導入されましたが、すぐに慣れました。 サークルは英語サークルに属していました。英語サークルは、ディスカッションセクションとスピーチセクションに分かれており、私はディスカッションセクションで活動していました。主な活動は週に2回のお昼時のディスカッションと、いろんな大学で開催されるディスカッション大会への参加でした。また、ディスカッション大会の企画・運営にも携わっていました。このサークルではたくさんの素敵な出会いがあり、他大学の同じベトナム人の友人や外国人の友人ができたりしました。 一年次の学園祭(SJ祭)では、多文化共生のブースで外国にルーツをもつ子どもたちと一緒に母国の紹介をし、私はベトナムの民族衣装であるアオザイを着てステージで披露する機会もありました。 英語の勉強を頑張っていたため、入学当初よりTOIECのスコアは300点以上上がり、卒業時には825点になっていました。 課外活動では、地域の小学校や日本語教室で外国にルーツを持つ子どもたちの学習支援を行うSL(サービスラーニング)活動に積極的に参加していました。卒業時には、ありがたいことに学長賞をいただきました。
書類選考 有り
面接 無し
小論文 無し
第一志望の大学の入試のためにはひたすら入試勉強と面接練習を繰り返していました。先生を捕まえては何度も練習に付き合ってもらいました。3年生はクラスの担任の先生よりも、副担任の先生は歳が近く、受験についての記憶がまだ鮮明なためよく相談していました。また、英語の先生だったこともあり、英語で面接練習も行ったりしました。同じ人を相手に練習すると慣れてしまうから、他の先生にもお願いしてみると良い、とわざわざ他の先生を紹介してくださる時もありました。 私の高校では、放課後に塾のような勉強会も開催していたため欠かさず参加していました。同じ世界史専攻の学生と集まって問題を出し合ったり、過去問を解いていました。
日本学生支援機構の給付奨学金は、高校3年生の時に学校からの案内で知り、申し込みました。数名しか貰えないと聞いていました。一定の成績が必要なのと、家庭の経済状況によって審査されます、校内選考で、面接もありました。 同じく日本学生支援機構の第一種奨学金(利子なし)は、大学に入学後に説明会へ出向き、申し込みました。
高校2年生の夏休みは母親といろんな大学のオープンキャンパスへ行きました。 ですが、大学の選択については、任されていました。
コロナ禍ということもあり、今までと違った入試の環境で不安に感じることが多いかと思います。日々の情報収集が大事だと思います。 私は、友人らと放課後に集まって勉強会を開いたこともあります。集まって勉強することが難しい今は、SNSの通話やズームを利用してお友達と励ましあったり問題を出し合ったりして勉強するのも良いのではないかと思います。 今、学校に通えている人はチャンスです。お金のかかる塾と違って学校の先生は時間さえあれば頼んだらいくらでも教えてくれます。私の高校の先生は「先生をたくさん利用してください」と仰っていました。面接練習も、勉強もたくさん指導してもらうと良いです。 一度手に入れた資格やスコアは期限があっても一生モノだと思っています。TOEICや英検を受ける予定の人は全力で取り組んでください。もちろん、通常の学校の試験もです。成績も一生モノです。悔いのない受験ができるように頑張ってください!
将来は、在日外国人をサポートできる仕事に携わりたいと考えています。上短卒業後に編入した大学では、社会学を専攻し外国人コミュニティや外国にルーツを持つ人々の社会統合を研究テーマにしています。家では、通訳や翻訳をしたり、チャットを使って日本語教室でボランティアをしていた頃に教えていた子に勉強を教えたりしています。
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